ハーンの最初の就職先松江の中学校を紹介したのは、東京帝大で言語学を教え、「古事記」を英訳したバジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain, 1850-1935)である。
彼はハーンと同年でたびたび書簡を交わし、情報を交換している。明治24年国内旅行の折、金刀比羅宮にも立ち寄っている。ハーンの書簡に「金刀比羅宮でB・H・チェンバレンと署名されたものを見た」と書かれています。
金毘羅詣りについてもう一人情報を提供した人、ハーンの親友西田千太郎
ハーン40歳、西田千太郎28歳と年の差はあるが、ハーンの通訳だけにとどまらず、互いに学び、尊敬の念をもって親交を深めていった。
彼は、松江中学に奉職する前、香川県坂出市に坂出塩産会社会長の鎌田勝太郎が創立した「済々学館」(せいせいがくかん)に教(校)長として迎えられていた。職務の合間に金毘羅を訪れている。
ハーンから西田に当てた書簡の中で「私は金毘羅と善光寺を訪ねたいのです。」「こんぴらふねふねの歌ありがとうございました」門司からの船で「こんぴらふねふねを歌いながら行った」とあります。
その後ハーンは熊本から東京へ移り帝大で英語を教えた。
「薄桃色の花の金毘羅」と題して「へるん」同好会の福間直子さんが金刀比羅宮発行の「ことひら」誌にのせています。
「はーん→はうん(八雲)」面白いですね。

