多度津の「花びし」で休憩をとったハーン一家は、それより5年前にできたばかりの陸蒸気(おかじょうき)とよばれる汽車に乗りました。最初の多度津駅は「花びし」のすぐ裏手(花びしの印刷物の右上に描かれている。現在JR多度津工場のある所)にありました。多度津工場100年史には、当時多度津-琴平間は27分かかったと記されています。
ラフカディオ・ハーン一家が降り立った琴平ステーションは神明町、現在「ホテル琴参閣」の場所にありました。
鞘橋は新町と内町の間(現在の一の橋)に架かっており、高燈籠に続く並燈籠は左右に百基以上整然と並んでおりました。そして、お山には約二千本の桜が満開で薄桃色に染まっていました。高い建物もなく一望に見渡せたことでしょう。
この人はステーションに降り立つと共に「嗚呼(ああ)、何と言う美しい町でありましょう!」と感嘆の言葉をもらし、眼前に広がる春の情景に見入りました。
「何と多く古物が残っているではありませんか! 青い光を暖かく、無限に受けており、-桜と桃とは花盛り-薄桃色の花が咲き出でて曚(もう)とした中を通しての長い通景(みとおし)、その光と日の黄金との中に道が続いて、まるで極楽へでも行くような幻の町のように思えた。」と友人に手紙を書き送っています。
そして、さらに 「あの驚くべき橋、鞘橋を渡り、あの石燈籠が両側にある道を下りました。」「金毘羅の町の妙趣は何でありましょう。確かに特別なある一つの事物にあるのではありません。見事な青空の下で頗る(すこぶる)単純な事物の偉大な結合の結果であります。町全体が芸術品であります。」「私は金毘羅内町のある学校で教えて、始終そこに留まっていたく思いました。」とも書かれておりました。



