勝手にシリーズ~琴平へつづく道~ その4
琴平へ行くには、鉄道、バス、自家用車、自転車、飛行機、徒歩などいろいろありますね。その「琴平に向かう」道のりの途中も楽しんでみませんか?
今回はのんびりと歩いてみました。
高松城から、いざ「金毘羅参詣」に向かいましょう。
『こんぴらさんへの道しるべ協議会』が2022年11月と2026年6月に発行した冊子「金毘羅参詣」の<高松街道>によると、四国の各地からこんぴらさんへお参りするための道は「金毘羅街道」と呼ばれていたそうです。金毘羅街道には、丸亀街道・多度津街道・高松街道・阿波街道・伊予土佐街道の五つの街道がありました。それぞれ、どこからこんぴらさんを目指すのかによって名前が付けられています。東海道など江戸時代の主要な街道の多くは、幕府によって整備されました。しかし金毘羅街道は少し違います。もともとは、里の人たちが歩いて行き来していた畦道や、集落と集落を結ぶ生活の道だったようです。そして、こんぴらさんへの信仰が広まるにつれて、この道をとおって遠くからお参りに訪れる人がだんだん増えていきました。こうしていつしか、こんぴらさんを目指す「金毘羅街道」になっていったようです。
「高松街道」の地図は、またまたお仲間の「こんぴらだんだん」さんのブログ金毘羅街道仇討紀行(1)の中にあります。あわせてご覧ください。だんだんさん、いつも勝手にすみません。
https://www.kotohirakankou.jp/blog/staff/entry-582.html
江戸時代、この高松三越あたりまで高松城の外濠があったようです。城の南側の外濠には城内への入り口の橋がかかっていたそうです。生駒親正が高松城を築いたころは木製の橋で「門出橋(かどでばし)」と呼ばれ、その後、松平頼重の時代に「常盤橋(ときわばし)」と名付けられたと伝えられています。
その高松城の外濠は、明治時代に入ると南側から少しづつ埋められていきました。橋も木製から石造りと変わり、1900年(明治33)には外濠が完全に埋められたそうです。
この常盤橋からは「讃岐五街道」として、南へ(金毘羅街道の)高松街道と仏生山街道。東へ志度街道と長尾街道。西へは(丸亀城へとつづく)丸亀街道の起点にもなっていました。
そんな歴史ある道も、いまではたくさんのお店が並ぶ商店街へと姿を変えています。
かつて常盤橋があった場所の頭上には、いま大きなガラスドームができました。直径26m、高さ32.2mとアーケード構造のドームとしては日本一の高さを誇るそうです。ここ「高松丸亀町壱番街前ドーム広場」では、週末に開催されるイベントなどで賑わっています。
この「高松丸亀町壱番街前ドーム広場」を起点にこんぴらさんへとつづく高松街道の現在です。丸亀町商店街→南新町商店街→田町商店街をとおりぬけて栗林公園前を通過。県道282号線と国道32号線近くを通りながら南西の方角へ一直線に目指す道が「高松街道」だったようです。この高松街道についても、またの機会に何度かに分けてご案内したいと思っております。
この日は、ちょうど本のイベント「BOOK WEEKEND」に「ことひらまちじゅう図書館」の皆さんも参加されていました。雨が降る一日でしたが、商店街が本好きの人たちで賑わっていました。昔もこのように人が大勢行き来していたのでしょうか、そんなことを思いながら傘と買った本を手に高松中央商店街を歩きました。
普段何気なく歩いている高松の商店街も、少し歴史を知ってから歩いてみると、いつもとは違った景色に見えてくるかもしれません。お買い物やイベントを楽しみながら、昔の街道や高松城の面影にも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
高松を訪れた際には、ぜひゆっくり歩いてみてほしい場所です。
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