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琴平のまちにある"かさぶた"!? 道ばたに貼りついた、名前のない歴史

「歴史を見るなら、こんぴらさんの上でしょう」

琴平で「歴史」と聞けば、あなたはきっと、石段の上の御本宮や金丸座、高燈籠を思い浮かべるはずです。ガイドブックにも載っていて、説明板もある。わかりやすい歴史です。

ちょっと待ってください! その手前の、何でもない道ばたにも、歴史は落ちています。

遺構(いこう)と呼ぶほど大げさなものではありません。けれど、確かに昔の何かがそこにあったしるし。私はこれを、まちの「かさぶた」と呼ぶことにしました。今回は、この夏から秋にかけてまちを歩きながら拾い集めた"かさぶた"たちを、型ごとにご紹介します。

 

1. 保存型:橋を、つなぎとめていた石

最初は、正体のわかっている一本から。

金倉川(かなくらがわ)に架かる玄孝橋(げんこうばし)。欄干が赤いので「赤橋」とも呼ばれる橋です。その近くの石垣の前に、角の丸くなった石柱がひとつ、草に埋もれるように立っています。

玄孝橋の近くに残る石柱「もやい」。角はすっかり丸くなっています

……ただの石の杭にしか見えませんよね。私も最初はそうでした。

ところが『琴平まちかどナビ』によると、これは「もやい」。橋がまだ木でできていたころ、大水で橋の材木が流されてしまわないよう、つなぎとめておく杭になった石柱なのだそうです。もやい(舫い)とは、舟などを岸につなぎとめること。橋そのものを、この石につないでいたわけです。

玄孝橋の名は、医師・山内玄孝(やまうち げんこう)の屋敷裏にあったことに由来します。最初は今より少し下流に架かっていて、大宮橋ができるまでは、こんぴらの町のいちばん北にある通行の要所でした。明治43年(1910年)に今の位置へ移り、昭和11年には真ん中が太鼓のように盛り上がった優雅な橋に。昭和35年ごろには、赤く塗られたその太鼓橋が町の名所だったといいます。そして昭和36年(1961年)、今の橋に架け替えられました。

橋は何度も姿を変えました。つなぎとめられていた木の橋は、もうどこにもありません。それでも、つなぎとめていた側の石だけが、今もここに立っている。

主(あるじ)を失っても持ち場を離れない石。なんだか健気に見えてきませんか?

 

2. 埋め込まれ型、取り残され型、そして一体化型

もやいのように由来のわかるものは、むしろ例外です。ほとんどの"かさぶた"には、説明板も名前もありません。歩きながら集めていくうちに、いくつかの型があることに気づきました。

まずは、埋め込まれ型。

舗装のつぎはぎの中から、細長い切り石が顔を出しています

道路のアスファルトに、ぽつんと切り石(きりいし)がひとつ。人の手で四角く切りそろえられた石です。昔の水路のふちか、敷石か、それとも何かの土台か。まわりが何度舗装し直されても、この石だけは掘り起こされずに残りました。

次は、取り残され型。

青いタイルの柱から、錆びた管の口だけがのぞいています

青いタイル貼りの柱に、錆びた管の切り口がひとつ。かつてはここに、何かがつながっていたはずです。雨どいか、水道か、それとも別の何かか。つながっていた先がなくなっても、口だけが残されています。

そして、一体化型。

金倉川の護岸に組み込まれた四角い石柱。向こうに橋が見えます

金倉川沿いの護岸に、四角い石柱が一本、すっと立っています。壁の一部のような顔をしていますが、よく見ると明らかに"よそ者"です。石の肌も、角の削り方も、まわりのコンクリートとはまるで違う。

これが何なのか、正直に言うと、私にもわかりません。……ただ、撮影した場所は、先ほどのもやいから目と鼻の先なのです。まさか、もやいの仲間? それとも、まったく別の何かでしょうか。

3. もっと下には、1400年前の"かさぶた"も

"かさぶた"は、地面の上にあるものだけとは限りません。

2025年、琴平町苗田(のうだ)の水田で、町の教育委員会による発掘調査が行われました。町立の3つの小学校を統合してつくる、新しい小学校の建設予定地です。

そこで見つかったのは、古墳時代後期、約1400年前とみられる竪穴住居(たてあなじゅうきょ)の跡。大きさは約4メートル四方で、琴平町内で竪穴住居の跡が確認されたのはこれが初めてと報じられました。遺跡は「苗田天神(のうだてんじん)遺跡」と名付けられています。

さらに50メートルほど離れた場所からは、鎌倉時代とみられる掘立柱(ほったてばしら)建物の跡や用水路の跡が見つかり、鎌倉時代の土器もたくさん出てきたそうです。

古墳時代の暮らしの上に、鎌倉時代の暮らし。その上に水田。そしてこれからは小学校。同じ場所に、時代が何層も重なっています。調査のあとは埋め戻されると報じられていましたから、1400年前の住まいは、こんどは子どもたちの足もとで眠ることになります。

そして、究極はこれです。

舗装に埋もれた円盤。弧を描く突起は、何のため?

舗装の中に埋もれた、まるい円盤。上から何かを塗り込められたのか、半分ほどが灰色に覆われています。弧を描いて並ぶ台形の突起と、小さな丸がふたつ。真ん中には穴。

……わかりません。何度見ても、わかりません。何かのふたなのか、目印なのか、それとも飾りなのか。ご存じの方がいたら、ぜひ教えてください。

 

まとめ:今のまちも、いつかは"かさぶた"に

かさぶたは、傷が治りかけたしるしです。まちが壊され、作り直されるたびに、どこかに少しずつ、前の時代の名残りが貼りついていく。

こんぴらさんの門前町として、長いあいだ人を迎えてきた琴平です。そのぶん、重なっている層も厚いのかもしれません。

次に琴平を歩くときは、ほんの少し、足もとと道ばたに目を落としてみてください。舗装のつぎはぎ、壁の穴、川べりの石。……名前のない歴史が、まだたくさん貼りついています。

そして、ふと思うのです。いま私たちが歩いているこのまちも、いつかは誰かの足もとで"かさぶた"になるのでしょうか。

カテゴリー:歴史・文化/ことひら百景

エリア:琴平/象郷

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