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大雨のあとだけ発動する“隠しイベント”!? 金倉川の川底から、〇〇〇〇が出てきました

「川なんて、どこも同じでしょう」(毎度おなじみの書き出しですみません。)

琴平のまちを歩けば、いやでも川を渡ります。金倉川(かなくらがわ)。門前町のまんなかを流れる、あの川です。でも橋の上では、たいてい正面を向いたまま通り過ぎてしまいますよね。私も、ふだんはそうです。

ちょっと待ってください! 先日の大雨のあと、いつものように橋を渡ろうとして、なんとなく下をのぞきこんだら……そこに、見たことのない景色が広がっていました。

今回は、ある条件がそろったときだけ現れる、琴平の“隠しイベント”の話です。

 

1. 川底が、出ていました

場所は、まちのまんなかに架かる一の橋(いちのはし)。内町(うちまち)と新町(しんまち)をつなぐ、ごく普通の道路橋です。

大雨のあとの金倉川。水位が下がって、川底が顔を出していました

……水が、ありません。

いえ、正確にはあります。ただ、いつもの半分もない。ふだんの金倉川は、下流に堰(せき)があるおかげで、橋の下までなみなみと水をたたえています。川底など、まず見えません。

ところが台風や大雨の前後になると、増水にそなえて下流の堰を倒すのだそうです。すると水位が一気に下がって、ふだんは水の下にあるものが、そのまま外に出てくる。

つまりこの景色、狙って見られるものではありません。大雨が降って、堰が倒れていて、しかも明るいうちにたまたま橋を渡る。この3つがそろったときだけ発動する、まちの隠しイベントなのです。

余談ですが、この時期はもうひとつ、別のイベントが重なっていました。川の上に、赤い提灯がずらり。よく見ると、提灯には「九份」の文字が入っています。台湾の、あの提灯と石段の町ですね。琴平町は台湾・新北市の瑞芳区(ずいほうく)——九份のある区です——と友好交流協定を結んでいて、台湾にちなんだ催しがたびたび開かれています。ところが、その「台湾フェス・台湾夜市 in 琴平」、この少し前に開かれるはずだったのが、近づいていた台風を心配して延期になっていました。しかも当日は、結局ひと雨も降らなかったとか。……ひとつのイベントは台風のひとことで流れ、もうひとつのイベントは大雨のおかげで発動する。なんとも気まぐれな話です。にぎやかなはずだった川の上と、干上がった川の下。一枚の写真の中に、ずいぶんな温度差がありました。あらためての日程は、10月24日(土)の15時から20時までと発表されています。

 

2. そして、四角い石が並んでいました

さて、川底が出たのはいいのですが。問題はここからです。

川底に並ぶ、平たくて四角い石。自然の川石には見えません

……これ、何だと思いますか。

角が立っています。面が平らです。そして四角い。ひとつやふたつではなく、点々と、ゆるやかな線を描くように並んでいる。

川の石というのは、水に転がされて角が取れていくものです。丸くなる。ところがこの石たちは、まるで定規で切ったような形をしている。どう見ても、誰かが切って、誰かが置いた石です。

手前へ、点々と。ひとつやふたつではありませんでした

橋のたもとから川のまんなかへ向かって、同じような石がいくつも顔を出しています。ふだんは水の下ですから、地元の方でも見たことのない人が多いのではないでしょうか。

……もしこの日、橋の上でひとり、川底をのぞきこんだまま固まっている人がいたとしたら、それは私です。あやしい者ではありません。たぶん。

 

3. ここは、120年あまり前まで「あの橋」が架かっていた場所です

ここで、この場所の来歴を思い出してください。

一の橋のあるこの場所には、かつて鞘橋(さやばし)が架かっていました。刀の鞘のような反りをもつ、屋根つきの木の橋。いまは南神苑(みなみしんえん)のわきに立っていて、年に数回の神事のときだけ渡られる、あの橋です。

当時は誰でも渡ることができ、橋の上には甘酒や飴を売る店が並んでいたといいます。こんぴら街道の出発点であり、終点。全国から集まった参拝客が、この橋を渡って石段へ向かいました。川で身を清めてから山に入った、という話も残っています。

その鞘橋が、日露戦争のころ——明治38年(1905年)——に、現在の場所へまるごと引っ越しました。空いた跡地に新しく架けられたのが、いまの一の橋というわけです。

……となると。

あの四角い石は、鞘橋の土台だったのではないか。

そう考えるのが自然ですよね。私も、橋の上でそう思いました。思ったのですが、ここで話がおかしくなります。

鞘橋は、川の中に柱を立てていない橋なのです。橋脚(きょうきゃく)がない。だから「浮橋(うきはし)」という別名があるくらいで、全国的にも珍しい造りだと言われています。

柱がないということは、川底に土台を並べる理由も、ない。

……振り出しに戻りました。

もっとも、手がかりがまったくないわけではありません。資料によると、明治10年(1877年)、鞘橋のすぐ横に「人力車橋(じんりきしゃばし)」という橋が架けられたことがあるそうです。人力車や荷車が通るための橋で、鞘橋が引っ越したときに一緒に取り払われたとか。重い荷車が行き来する橋なら、川の中に足が要ったのではないか——まったくの素人考えですが、そう思うと、あの石の並びにも説明がつきそうな気がしてきます。

もちろん、それとは別の何かかもしれません。護岸を直したときの残りかもしれないし、もっと新しいものかもしれない。私は答えを持っていません。

 

まとめ:発動条件は、たぶん3つ

答え合わせは、現地でお願いします。

次に琴平へお越しになるとき、もし直前に大雨が降っていたら、一の橋の上でいちど立ち止まってみてください。下をのぞいて、水が引いていたら当たりです。

の橋。ここが、かつて鞘橋の架かっていた場所です

大雨のあと。堰が倒れているあいだ。そして、明るいうち。この3つがそろったときだけ、川はふだん見せない底を出してくれます。晴れが続けば、また水の下に隠れてしまう。

こんぴらさんの石段はもちろん立派ですが、まちのほうにも、こういう「条件がそろうと出てくるもの」が転がっています。攻略本はありません。歩いて、のぞいて、首をかしげる。……そういう遊び方も、悪くないと思いませんか。

そして、あの石が何なのかご存じの方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。私はまだ、この謎を解けていません。

カテゴリー:ことひら百景/歴史・文化

エリア:琴平

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