特派員ブログ

1本の茎に花がふたつ!? 「もうやめよう」と決めた年に咲いた蓮の話(前編)

白状します。私はつい先日まで、蓮(はす)と睡蓮(すいれん)の区別がついていませんでした。

どちらも水に浮かんでいて、どちらもきれいで、どちらも仏さまのそばにいる。モネの絵と、お盆の花と、レンコン。頭の中でぜんぶ同じ引き出しに入っていたのです。

その引き出しをひっくり返してくれたのが、榎井(えない)の福成寺(ふくじょうじ)というお寺でした。金刀比羅宮の石段からは少し離れた、田んぼと家並みのつづくあたりです。この特派員レポート、じつは榎井地区に足を踏み入れるのは今回が初めてです。いつもの門前町からほんの少し離れただけなのに、知らないことがまだこんなに転がっていました。

訪ねたのは9月の頭の土曜日でした。蓮の見ごろは7月ですから、とっくに過ぎています。それでも行きたかったのは、ここで3年前、とんでもない花が咲いたと聞いたからです。

 

1. まず、こちらをご覧ください

/1本の茎の先で、二つの花が並んで開いた「双頭蓮」

見まちがいではありません。1本の茎の先から、クリーム色の八重の花が、ふたつ。

これが「双頭蓮(そうとうれん)」です。蓮はふつう、1本の茎に1つしか花をつけません。それが突然変異でふたつに分かれることが、ごくまれにある。

どのくらいまれなのか。琴平町の広報誌『広報ことひら』2023年8月号は、表紙にこの花を大きく載せて、こう紹介しています。「ごく稀に2つの花が咲くそう。それは、50年に1度とも100年に1度とも言われるほど」。住職によると「10万本に1本」。これはもう、めったに出会えないということです。

古くから吉兆(きっちょう)――良いことが起こる前ぶれの花とされてきました。見た人は幸せになる、とも言われます。日本書紀にも、1本の茎に2つの花が咲いたという記述が残っていると伝えられています。1400年ちかく前から、人はこの花に驚いていたわけです。

福成寺でこの花が開いたのは、2023年7月4日の朝でした。

 

2. 「しれっと黙っとこうと思ったんですよ」

ここからがおもしろいところです。

住職は、つぼみのころから気づいていたそうです。花のもとになる部分が、どうも二股(ふたまた)に分かれている。

住:「『もしや!』二股の花の芽があったんです。『えっ!?』ってなって。……大げさなことになる前に、しれっと黙っとこうと思ったんですよ(笑)。」

黙っておこう。

50年に1度の花が自分の鉢で咲きかけているというのに、まず出てきたのがその判断なのが、なんだかとてもいい。

もちろん黙りきれるはずありません。茎は2メートルほどまで伸び、倒れないよう支柱をあてがわれ、その先で二つの花がきれいに揃って開きました。地元紙が報じ、テレビが取り上げ、お寺は一夜にしてにぎわうことになります。

二つの花のバランスは、住職いわく「これだけ両方整った花は初めて見た」

住職はそのときの様子を、こんなふうに話してくれました。

住:「勝手にパワースポットになっちゃって。みんなやっぱり、幸せになりたいんですよね。珍しい花を拝んだら幸せになれると思ったんでしょうね。見に来た人が、花に向かって柏手(かしわで)。……お寺なのに(笑)」

念のために申し添えますと、お寺で柏手は打ちません。手を合わせるのが作法です。

でも住職は、それを笑って見ていたそうです。「まあまあ、信じるもので、みんなが盛り上がってくれたらいいや」。拝観料を取るでもなく、門を閉めるでもなく。県東部から毎朝通って来るカメラ好きの方も、岡山から聞きつけて飛んできた方も、そうやって迎え入れました。「門も閉めたことないし、入ってみて、っていう感じ。」そうおっしゃっていました。

 

3. 「正直、いつでもやめたいんです」

さて、ここまで読むと、蓮を育てるのはさぞ優雅な趣味なのだろうと思いますよね。私もそう思いながら聞いていました。

ところが、話は思わぬほうへ転がります。

双頭蓮になったのは「友誼牡丹蓮(ゆうぎぼたんれん)」という八重の品種。ふだんはこう咲く

蓮は鉢で育てます。そして鉢の蓮は、毎年かならず植え替えなければなりません。時期は3月、ソメイヨシノが咲く前。放っておくと鉢の中が根でいっぱいになり、花が咲かなくなってしまうのだそうです。

その作業がどんなものか、住職の言葉で聞いてください。

住:「1回、3月中に、これ全部ひっくり返すんですよ。で、全部こうスコンって抜いて。元気なレンコンって2節だけなんですよ。……レンコンの花芽(はなめ)を折っちゃったら、もう終わっちゃうんで。それを折らないように、きれいにすーっと。折れたら、もうそれは使えないです。」

レンコンの先についた新芽を、ほんの少し折るだけで、その株はその年もう咲かない。それを何鉢ぶんも、泥に手を突っ込んで、ひとつずつ確かめながら繰り返すわけです。

住:「終わったころには、全身筋肉痛になります。」

冬のあいだも水は一日も切らせません。土は栄養のある田んぼの土がいちばん良いということですが、これがなかなか手に入らず、園芸店の土と自分でブレンドしているのだそうです。

そして、この言葉が出てきました。

住:「でも正直、もうやめたいんです。しんどいから。いや、本当しんどいですよ。本当ですよ。」

……ここまで言うか、というくらい、はっきり言われました。弱音を吐いているというより、事実を報告している口ぶりです。

じつは2023年のあの春も、住職は本気で店じまいを考えていたそうです。今年でやめよう、と。

住:「もうほんとにしんどかったんで、はい。やめるつもりだったんですよ。」

やめると決めた、その年の夏でした。育てて20年目にして初めて、あの花が咲いたのが。

住:「その時からもう、やめられなくなったんです。」

 

まとめ:やめない人の、鉢の中

ここで正直に申し上げておきたいことがあります。

「やめたい」と言うときの住職の声が、少しも重たくないのです。むしろ、楽しそうなのです。

肥料は油カスの大粒が「万能薬」だとか、ボウフラ対策に入れたメダカが勝手に増えて鉢の中に小さな生態系ができるのが「本当におもしろい」だとか、話が次から次に飛び出だして止まりません。

失礼を承知で申し上げます。この人、絶対にやめません。

門の扁額には「甘露門」。この門の向こうに、鐘楼と蓮の鉢が並んでいる

お寺の入口には、真新しい木の門が立っていました。掲げられた扁額(へんがく)には「甘露門(かんろもん)」の四文字。くぐった先に鐘楼(しょうろう)があり、その足もとに蓮の鉢がずらりと並んでいます。

門は、開いたままでした。

では、その「やめられなくなった」鉢には、いったい何が植わっているのか。8種類の蓮と4色の睡蓮には、それぞれどんないきさつがあるのか。そもそも私は、まだ蓮と睡蓮の区別がついていません。

続きは後編で。榎井のお寺の、鉢の中をのぞいてみます。

福成寺

写真1〜3提供:福成寺(写真4は筆者撮影)

カテゴリー:歴史・文化/特派員おすすめ情報

エリア:榎井

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