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かくして多度津は四国鉄道発祥の地となった

平成元年5月にJR四国は四国鉄道開業百周年を迎え、記念として「四国鉄道発祥之地」の碑を多度津駅前広場に設置した。この碑は鉄道開業80周年記念で旧国鉄多度津病院跡に建てられたものであったが、広く公開する目的で移設したと思われる。また記念イベントとして10日間にわたって蒸気機関車を多度津~琴平間で走らせ鉄道ファンを喜ばせた。蒸気機関車はかつて多度津駅の象徴であった。多度津には車両や鉄道設備の点検整備を行う多度津工場もあり、駅構内や工場で多くの蒸気機関車を見ることが出来た。                                     JR琴平駅前にはC58蒸気機関車の動輪が展示されている。一方、多度津駅前とJR多度津工場にも動輪と蒸気機関車が展示されている。JR四国唯一の車両工場を有する多度津ならでは産業遺産といえる。 讃岐の鉄道の歴史と多度津駅の歴史を辿りながら、なぜ多度津が四国鉄道発祥の地となったかを考える。

多度津駅前に設置された動輪(上の写真)のそばに「四国鉄道発祥の地」の掲示版がある。

そもそも多度津、丸亀は江戸時代から金毘羅船に乗った金毘羅宮参拝者の上陸場所として賑わっていた。鉄道敷設を進めていた明治政府は明治20年5月に「私設鉄道条例」を公布した。讃岐ではその1週間後に景山甚右衛門、大久保諶之丞ら22名の連名で「私設鉄道願」を愛媛県知事経由で政府に上申した。(この当時讃岐は愛媛県であった) これは多度津港や丸亀港に上陸する大勢の参拝客を鉄道により効率的に琴平まで運ぶ事を目的として立案したものであった。この時の付属文書である「讃岐鉄道起業目論見書」によると、社名は讃岐鉄道会社とし、会社の所在地は丸亀通町、線路は那珂郡丸亀を起点に那珂郡琴平村までとなっていた。上申から時間がかかったものの、明治21年2月に免許交付、4月に琴平村の金倉川河原にて起工式が行われ多度津~丸亀、多度津~琴平間の工事が開始された。人力車夫や旅館関係者の建設反対運動が有ったものの、丸亀~琴平間の工事は約1年で完成して明治22年(1889年)5月に鉄道運転を開始した。

これに先立ち、讃岐鉄道は明治21年2月に本社を丸亀から多度津に移転した。移転先は現在のJR多度津駅の北西約1kmの場所で、多度津港に近い桜川河口付近であった。

冒頭に出てきた「四国鉄道発祥之地」の碑は、この敷地跡に設置されていたものである。     さて、多度津駅は船~鉄道の乗り換えに好立地であったため、多度津は金刀比羅宮参拝の起点として大いに繁栄した。                                     開業当時の多度津駅は木造二階建てで正面入口は西側にあり桜川に面していた。

また、駅の敷地内には車両修繕の為の小規模な工場(器械場)も併設された。この工場がのちに多度津工場となる。下の写真は桜川から撮った多度津駅(右側)と器械場(左側)である。

川を挟んだ向かいには大型旅館「花びし」があった。「日本博覧図」の銅版画の中に「花びし」の絵がある。(下の絵) この絵の中で「花びし」の右後方に書かれた2階建の建物が開業当時の多度津駅で、1階は駅舎、2階は讃岐鉄道本社として使用されていた。「花びし」に泊まった参拝客のほとんどが多度津駅を利用したことであろう。

「花びし」の裏は桜川に面しており、船から降りればすぐ建物に入れるようになっていた。船で多度津港に付いた参拝客もこの裏口を利用した事であろう。

現在「花びし」跡は銀行に、多度津駅跡は多度津町民会館になっている。

銀行前には「花びし跡」と刻まれた石柱が、また多度津町民会館前には「四国鉄道発祥の地」の記念碑が置かれている。

鉄道開設当時の線路は丸亀方面から来た汽車が多度津駅で折り返して金刀比羅方面に向かうスイッチバック方式となっていた。ホームは行き止まり構造の頭端式で駅の東側で丸亀行きと琴平行きが並走した後、旧多度津水産高校あたりで東と南に分かれていた。このように多度津駅は丸亀からの線路と琴平行きの線路の結節点となっていた。

その後、明治30年(1897年)2月に丸亀~高松間の路線が開業した。しかし、丸亀~高松線延長に要した投資の負担が大きく、さらに全国的な不景気の影響により讃岐鉄道は経営難となった。讃岐鉄道の創業者で2代目社長であった景山甚右衛門は責任を取って退陣した。その後、会社再建の中で山陽鉄道出身者を受け入れて大幅なリストラと経営改革を実施した。その一環として明治34年(1901年)には旅客列車に食堂車を連結し、「喫茶室」と称してそこに女性乗務員を給仕として登用を行うなどの営業努力を行ったものの効果は限定的であったようだ。(日本で最初に食堂車を導入したのは山陽鉄道で讃岐鉄道の2年前であった)

明治37年(1904年)に讃岐鉄道はは山陽鉄道と合併し、その2年後の明治39年(1906年)には国策により国有化されている。その後、大正2年(1913年)12月、多度津~観音寺間の開通に伴い、多度津駅はスイッチバック方式をやめて現在の場所に移った。旧多度津駅跡地には貨物用駅が設置され多度津駅とは貨物線で繋がるようになった。                                   讃岐鉄道は讃岐では最初の鉄道となったが、四国では2番目の鉄道(日本全国では9番目)であった。実は、讃岐鉄道開業の7か月前、明治21年(1888年)10月に伊予鉄道が松山~三津簡で開業していた。伊予鉄道は松山を中心に周辺の鉄道会社を買収して路線を拡張していったが、国有化はされず愛媛県内の民営鉄道として現在に至っている。一方、四国の鉄道網は讃岐鉄道が起点となって徳島、高知、愛媛へと路線を拡張して出来たものであり、山陽鉄道、国鉄、JR四国と事業主体を変えながら四国の交通、輸送の要として大きく貢献してきた。

四国の鉄道の原点である讃岐鉄道、そしてその起点としての多度津こそ「四国鉄道発祥の地」と呼ぶに相応しいのではないだろうか。この点については、愛媛の皆さんにも同意いただけると思う。かくして、多度津は「四国鉄道発祥の地」となった。

カテゴリー:歴史・文化  エリア:町外

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